深大寺城跡は、関東平野南部に広がる武蔵野台地の南縁辺部の標高約50mを測る舌状台地の一角に所在する、3つの郭からなる戦国時代の城跡です。台地の東側には開析谷によって形成された90m幅に及ぶ湿地帯が広がり、西側にも湧水を集めた支谷があり、南側は比高約15mを測る国分寺崖線によって画され、南方に多摩川とその対岸を望見することができます。城跡の北側の谷を挟んで古刹・深大寺が所在します。
国指定史跡 深大寺城跡(じんだいじじょうあと)
所在地:調布市深大寺元町二丁目
立 地:野川流域東岸の武蔵野段丘(標高49~50m)
面 積:23,936.22㎡
時 代:戦国時代前期
種 別:城館跡
深大寺城跡は、戦国時代、関東の覇権を争う小田原北条氏と扇谷上杉氏の攻防のなかで、扇谷上杉氏方が造営した城跡です。文献に深大寺城の名が見えるのは戦記物『河越記』が初見とされ、『相州兵乱記』『北条記』『北条五代記』『鎌倉九代後記』にも記述がみえます。それらによると、深大寺城は、1524年(大永4)北条氏綱によって重要拠点の江戸城を奪取された扇谷上杉朝興の息子朝定が、家臣の難波田弾正に命じて1537年(天文6年)、多摩川を挟んで北条氏方の拠点の一つであった小沢城跡に対抗する位置に所在する「深大寺のふるき郭」を再興したものとされます。しかし北条氏綱は深大寺城を攻めずに同年7月、直接扇谷上杉氏方の河越城を攻め、朝定は松山城跡に敗走しました。これによって一気に勢力図は塗り替えられ、深大寺城の軍事的意義は喪失、そのまま廃城となったと考えられます。
深大寺城跡は、1998年に東京都指定史跡となり、2007年7月26日付けで国の史跡に指定されました。
深大寺城跡は、都立神代植物公園の水生植物園内にあります。
入園料:無料
開園時間:午前9時30分~午後4時30分
休園日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月1日)
所在地:東京都調布市深大寺元町2丁目
問い合わせ:神代植物公園サービスセンター 電話042-483-2300