深大寺について~境内のみどころ~

2017/11/29

 

  1. 深大寺散策マップ表面(地図、深大寺の句碑・歌碑を巡るコース)
  2. 深大寺散策マップ裏面(深大寺の主な見所、由来)

 

  1. 山門(薬医門)
  2. 鐘楼・梵鐘(国重要文化財)
  3. 常香楼
  4. 本堂
  5. 元三大師堂
  6. 釈迦堂と白鳳仏(国宝)
  7. 深沙大王堂
  8. なんじゃもんじゃの木

 

1.山門(薬医門)

 本柱の後方に控え柱を立て、その上方に女梁、男梁をかけ切妻屋根を乗せた門です。
1695年(元禄8年)に千人の寄進により普請され、境内現存の最古の建物です。
柱、組材などはケヤキで赤く塗られ、屋根裏板・垂木などはスギで黒く塗られています。

2.鐘楼・梵鐘(国重要文化財)

 1870年(明治3年)に再建され基盤に3つの甕を埋めんでいます。
音響効果を期待したものと思われています。
梵鐘は国の重要文化財に指定されています。
現在鐘楼内にあるものは平成13年に新たに鋳造されたものです。旧梵鐘は鎌倉末期の特長を良く示しており、1376年鋳造の山城守宗光の銘があります。
都内では三番目に古く、鋳造以来実際に撞き続けられた梵鐘としては最古のものです。 昭和天皇が摂政時代に深大寺を訪れられ「古いものは大切にするがよい」とおっしゃられ、そのため戦時中にも徴発を免れたといわれています。
第二次大戦中には約75,000個の鐘が徴発された中、貴重なものであったことがうかがえます。

3.常香楼

  1833年(天保4年)建立されました。
元は大師堂前にあり、幕末の大火に焼かれた際の焼け跡が北側に残っています。
屋根中央に金色真鋳鋳物の宝珠を乗せ、四隅の降棟の先には金色真鋳鋳物の鳳凰の頭を付けています。

4.本堂

 大正8年再建され本尊は阿弥陀如来です。鎌倉時代前期の作といわれています。
本堂は平成15年に改修されています。
国内の著名な寺院では 平泉の中尊寺 長野の善光寺 などがあり 深大寺はこれからの寺院と同格です。
かっては多摩地方一帯から川崎にかけて 三十をこえる末寺を有した古刹であり、現在でも調布市内外から参拝の人々が絶えません。

5.元三大師堂

 幕末大火で類焼しましたが被災直後(1867年 慶應3年)再建されました。
内部には慈恵大師像が安置されています。2mを越す大像は珍しく、鎌倉末期の作とされています。
近世にはこの元三大師が深大寺の信仰の中心となりました。元三とは慈恵大師の入寂が正月三日だったことによっています。
像は慈恵大師(元三慈恵大師良源)の自刻像といわれ、991年に深大寺に移座と縁起に深大寺真名縁起詞書に記されています。
河鍋暁斉の竜の天井画が残っています。河鍋暁斉は江戸末期から明治の鬼才といわれ、国内外で高く評価されている画家です。

6.釈迦堂と白鳳仏(国宝)

 昭和51年に白鳳仏を安置するため釈迦堂が新築されました。
白鳳仏とは金銅釈迦如来倚像といわれ、「立像にあらず 座像にあらず (深大寺明細帖)」と記されています。
白鳳仏は明治42年大師堂檀下から見つけられました。
7世紀末の製作とみられ、関東を代表する金銅仏で清純な童顔は朝鮮新羅から中国隋代の仏像に源流が辿られるとされています。
流麗な衣文はインドグプタ彫刻の影響を受けた中国唐代彫刻に連なると見られており、清らかな端正をそなえています。
左手は与願印で五指の間から甘露水を垂らし、衆生の願望に応じ、右手は施無畏印で一切衆生に安楽無畏を施すとされています。施無畏与願印は白鳳仏に共通している印です。
この仏像の伝来や何故深大寺にあるのかは残念ながらはっきりとしていません。
ただ、同じ法相宗の新薬師寺の香薬師の表現と極めて似ていることが製作地のなぞを解く上で注目されています。

7.深沙大王堂

  昭和43年に再建されました。旧堂は大師堂に匹敵する大きさがあり、深沙大王社と呼ばれています。大きな鳥居もありましたが、明治の神仏分離令により取り壊されました。
秘仏深沙大王像が安置されています。
深沙大王は水神で秘仏は57cmの高さがあり、どくろの胸飾りをつけ象皮の袴をはき憤怒の形相をした鎌倉時代の優作です。
深大寺縁起から縁結びの神ともされています。

8.なんじゃもんじゃの木

 その地方に珍しい樹種や巨木を指して呼ばれます。深大寺のなんじゃもんじゃの木はヒトツバタゴです。
ヒトツバタゴはモクセイ科で英名はSnowFlower。
北米に一種、東アジアに二種存在します。
分布は本州(愛知、岐阜)対馬、朝鮮、中国、台湾などです。
明治神宮のなんじゃもんじゃの木もヒトツバタゴです。
各地では筑波山のアブラチャン、神崎神社のクスノキなども有名です。

 

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